アンコールワットに行ってきました

夏休みに三世代で、カンボジア+タイを旅行した記録

DAY09 [3] はだしの少年

 


はぐれる私たち 


遺跡の中心に入っていくにつれ、だんだんと人が多くなってきた。
トゥームレイダーで舞台に使われたとかいう
レイダースツリー?なんかは
中国人団体が写真撮影のため行列していた。

 


背後の根っこに見向きもせず
猫の写真とってるひといますけど・・・・

完全に塀にまたがっちゃってる

 


今から考えると、これらの木で団体の進行が妨げられているから
西門近辺の木の撮影ポイントがまだすいていたのかもしれない。

暑くてだんだんみんな朦朧としてきた。

集団行動ができなくなり、
観光している間に、6人が3つに分かれてはぐれてしまった。

どこにいるの?とSkypeでメッセージをやりとりするけれども
電波がよく入らなくて、Skypeのメッセージも送れるときと
送れないときがあるし
送れたとしても、どこもお堂と木ばっかりなので
「ここにいるよ」と言えるような目印がなかった。

私が持ってきたガイドブックの切り抜きには
タプロームの内部の見取り図がなかったので
自分がどこにいるのかもよくわからなかった。


トイレはどこだ

 

しばらくさまよううちにパパさんを見つけた。
パパさんはどこに何があるか把握するため
全体をまわって見に行ってくれていたようだ。

そしてたろさんたちとも合流できた。
たろさんはスマホを持っているので
自分は連絡がとれるが
おじいちゃんは持っていない。

おじいちゃんがひとりで迷子にならないよう
たろさんはおじいちゃんについて
サポートしてくれていた。

合流してみると、おじいちゃんがもうかなり
トイレに行きたくて限界に近いという。

寺院の境内にはトイレは全くないので
エリアの外に出なくては。
それには東門に向かうしかない。

まだいくつか見どころポイントがあるはずだったけど
みんなかなり体力を使い果たしているので
どっちにしても全部をまわるのは無理そう。

混んでる中庭から出て、大きくまわりこんで
東門方面にむかった。

 

ならぶのがイヤなので全然知らないひとの
記念写真とってよしとする私

 

 

はだしの少年


東門へ向かう参道で、小さい男の子がついてきた。
けろりより背が小さいぐらいで、
背からいったら小学校の2,3年に見える。

さっきの女の子と同じように
首にかけたカゴの中に何種類かのおみやげを入れているんだけど
とてもうつろな感じの子で、
まるで夢遊病者のように
「ハガキ10マイ2ドル~、ハガキ3コ5ドル~」
って繰り返しいいながら
私たちのグループと同じ歩調で歩いてくるのだった。

私ももうくたびれているからあまり真面目にとりあわず
ただオッヨー(いらない)っていうんだけど
なんの反応もなく、ただ同じように「3コ5ドル~」って
繰り返してくる。

押し売りみたいな売り子でも、
ずっと繰り返してるとお互い意地になってきて
そのうち意地を張り合う自分たちがおかしく思えてきて
思わず笑っちゃう、みたいのあるじゃない。
そういうの狙ってるのかなと頭の片隅で思ってたの。
でもこの子はそういうの全然ないんだよ。

まもなく駐車場というところまで来たとき
その子はいきなり「ハガキ2コ1ドル~」と
あり得ない安い価格を言ったと思ったらふいにきびすを返して
もと来た方に帰っていった。

ふりかえって見た後ろ姿で
なんだか急に目が覚めたように感じた。

その子は靴どころかサンダルもはいてなかった。
背はとても低いけれど
裸足の足は不自然に大きくて
もしかしたらけろりより年は上なのかもしれない。

あの無気力とすらいえるほどのうつろさは
もしかしたら空腹から来るものじゃないだろうか
あの子は、ほんとシャレにならないくらい貧乏なおうちの子で
炎天下一日中働いて家族を支えてる子だったかもしれない。

ぼんやりしてオッヨーとか言い続けてしまったけど
なんか買ってあげるべきだったろうか。
あとから心がいたんだ。

カンボジア政府は、子供からものを買うと
学校に行かなくなってしまう(あるいは親が子供をあてにして
学校に行かせなくなってしまう)から
子供の売り子からものを買わないで、飴とかあげないでって
アナウンスしているし
それは本当に大事なことだとは思う。

だけど未来を語る前に今日のごはんのめどが立たない
っていうひとたちが、たぶんまだこの国にはたくさん
居るよね。

作戦会議


駐車場にたどりつき、トイレにつくと
大きい方が不調なパパさんはトイレにこもった。

残った5人はトイレの前の売店でジュース買って作戦会議。

まだ10時くらいで時間はたっぷりあるので、
アンコールワットの見損ねたレリーフ見に行こうかとも考えたけど
なにしろアンコールワットは建物にたどりつくまでが長いし、
見損ねたレリーフだけ、っていってもかなり長丁場になることは
間違いない。

そういえば前からたろさんが
キリングフィールドのお寺を見てみたいと言っていて
一度連れて行かなければと思っていたので
行きたいひとだけキリングフィールドに連れていってもらって
行きたくないひとは帰ることにしよう、
と話がまとまった。

 

ウィサさんの家族の話


ウィサさんは、車にエアコンかけて待っていてくれた。
余計な燃料代がかかるので、運転手さんたちは通常
自分たちだけのときはエンジンかけないで
車の外の日陰とかで待ってるけど
私たちの姿が見えるとすかさずエアコンをかけて
戻ってきたときに気持ちよく涼めるよう
気を配ってくれていた。

車にのりこんで、今日はキリングフィールドいって
おしまいにしますって伝えた。

帰り道にウィサさんの家族のことをきいた。
ウィサさんのお子さんは11歳の息子さんと
17歳の娘さんで、娘さんは学校で日本語の勉強してるんだそうだ。

タケオゲストハウスのオーナー・モムさんはウィサさんの
お姉さんなんだけど、もう年だしそろそろ引退したいと思ってる。

タケオゲストハウスは日本人宿なんで、日本語ができるひとが
ひとりいたほうがいいので、ウィサさんの娘さんにいって
勉強させているんだって。

ちなみに、この話はあとで少し補完されることになる。
帰るときにモムさんの末の息子さんが荷物の手伝いと見送りに
空港まで来てくれたんだけど、そのとききいたところによると、
以前はモムさんの一番上の娘さんが日本語を習ってて
ゲストハウスを継ぐはずだったんだって。

だけど数年前にその娘さんが亡くなってしまって
でもやはり日本人宿である以上、日本語がわかるひとが
ひとりはいるほうがいいっていうんで、
ウィサさんの娘さんがかわりに選ばれ
日本語を学び始めたということだった。