アンコールワットに行ってきました

夏休みに三世代で、カンボジア+タイを旅行した記録

DAY11 [2] 遺跡の中で会った人々

 

遺跡散策の始まり 

遺跡入り口付近はまだほとんど車もなくみやげ店もなく
言われなければ遺跡入り口だと気づかないほどだった。

 

 

プンローさんにあとでねと挨拶して参道を歩きはじめた。
遺跡の中もすいていて、いるのは日本人ばかり。
みなさんガイドをつれている。

旅先で日本人に会うと私は挨拶するほうだ。
以前行ったアユタヤやスコータイでは
「あ、あのひと日本人だったね・・・」
とか言っていた子供たちも
自分から元気よく挨拶するようになってきた。

遺跡の東門につくと、もうのっけから
遺跡をふみつぶして巨木がはえていて迫力がある。

 

 

 

 

 

 

 

この遺跡はだいぶ崩れているので、遺跡の瓦礫の上を歩かずに
見どころをまわれるよう、
木のデッキと階段で見学ルートが築かれている。

 

子供たちあらわる


デッキの順路を歩きはじめてまもなく
6、7歳ぐらいに見える男の子2人、
女の子2人の子供たちが
手に手にビニール袋をもって現れた。

この子たちを見たときに「出た~!」と思った。
この遺跡は、子供や警官が勝手にガイドして、
最後にチップを要求するという定番の
押し売りガイドがいるらしいと
あちこちのサイトで読んでいたから、
みんなには、
「この子たちはたぶん
そういう子たちだから
相手をしないようにね」
と伝えた。

相手をしないようにと言ってるのにおばあちゃんは
日本から持ってきた、いらないキーホルダーを4つ出して
その子たちにあげていた。

その子たちはそれを受け取ると
そのあとはついてくるでもなく、
そのままどこかへ消えていったから
押し売りガイドではなかったのか・・・

少しいくとルートが2つに分かれ、
パパさんと本隊がはぐれてしまった。

パパさん、先の方に何があるか
偵察に行ってくれるのはいいんだけど
ときどきそれではぐれちゃうんだよね~

でもそう広い遺跡でもないからいずれ会うだろう、と歩いていたら
暗い回廊を通って、広い中庭のような場所に出た。

 

 

 

 

そうじのおじさんたち


中庭の裏手にそうじしているおじさんたちがいて
子供たちと一緒に挨拶したら
「ソクサバーイテー(元気)?」と聞かれた。

元気です~とクメール語で答えると
ニコニコしてうしろにいる父を指さして
「あんたのお父さん?」と聞かれたので
指さしながら
「私のお父さん」
「私のお母さん」
「私の息子」
「私の娘」と紹介した。

するとおじさんたちがいっそうニコニコして
よくできましたとばかりに
掃除する手をとめて「オオ~」と言ってくれた。

 

ほかのグループの日本語ガイドさん


その先へ歩いていくと今度は
4人の若い日本人男性を連れたガイドさんがいた。
このひとは日本語ガイドなんで日本語ぺらぺらだった。

挨拶したら、
カンボジア何回目ですか?」
っていうから
「2回目です。あ、でも、プレアビヒア遺跡が
まだタイからしか入れなかったときに
タイからプレアビヒアに行ったから3回目」
というと
「遠い国からわざわざ3回も来てくれて
ありがとうございます」
と言われた。

「私もはやく日本に行きたいです」
というから「日本に行きましたか」ときいたら5回だって!
わお!こちらこそ遠い国からはるばる5回も来てもらって!

それにしても日本語ガイドってお金貯まるのね~。
それともそもそも裕福なおうちの方なのかしら。

ガイドさんの連れてるひとたちはみなさん
カンボジア2回目3回目のひとで、見るからに
アジアの旅行は慣れてるといったいでたち。

4人セットの旅行者というよりは、
個人のバックパッカーの寄せ集めに見えたけど、
ふつうのバックパッカー
あまり日本語ガイドとか雇わないし
どういうひとたちなのか想像ができなかったな。

これから国境のプレアビヒアまで行くんだといって
急ぎ足で先へ進んでいった。
「お気を付けて~」
といって別れた。

 

 

くさむらで捕まえたバッタ。

遺跡のはずれでは牛が草を食んでいる。


大きな声ではいえないが、この遺跡の往復でも
けろりがいろいろなトイレエピソードを残してくれた。
今日は大きいほうにまつわるエピソードもあるのだが
一応レディなのでここに書くことはできない。

ただ、私は良識ある旅行者なので
遺跡を汚すようなことはしてないことだけは
付け加えておく。